金子みすゞ記念館 山口県長門市

金子みすゞの実家跡に「金子文英堂」を再現し、当時のみすゞの生活をうかがうことができる。本館では、みすゞの作品と生涯を中心に展示し、みすゞの世界の魅力を分かりやすく紹介している。(山口県長門市仙崎1308)

金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。

本名は金子テル。山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)出身。郡立大津高等女学校(現・山口県立大津高等学校)卒業。劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(テルにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。

叔母の死後、正祐(雅輔)の養父・上山松蔵とテル(みすゞ)の母が再婚するため、二人は実の姉弟でありつつ、義理の姉弟の関係でもある。

大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。

1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する書店・上山文英堂の番頭格の男性と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は未完)。

みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺する。享年26歳。


⇒金子みすゞ

シーモール下関 山口県下関市

シーモール下関(シーモールしものせき、Seamall Shimonoseki )は、山口県下関市にある複合商業施設。所在地は山口県下関市竹崎町4丁目4-8。

1973年(昭和48年)12月、当時の国鉄下関駅の貨物ヤードのうち、駅舎に近いエリアの一区画について、再開発事業として大型ショッピングセンターの建設が計画され、運営母体となる第三セクターの下関商業開発株式会社が設立される。

1977年(昭和52年)10月、大丸(下関大丸)とダイエーの2つの核店舗と、約220店の専門店から成る西日本最大の複合商業施設としてシーモール下関が誕生する。当時は大型ショッピングセンターといえば核店舗は1店舗とすることが多かったが、北九州市(特に小倉北区)への買い物客の流出をできるだけ防ぎたいという地元関係者の熱意により、当時としては異例の形態となった。

開業以来数回の全面改装を行っており、最近では2007年(平成19年)に専門店街の大規模なリフレッシュ工事を行っている。一部店舗の通常営業を続けながら、外壁の塗装塗り替えやコンコース・出入口の拡大、店舗の移転・拡大などを行ったもので、開業30周年となる2007年10月にリニューアルオープンした。

現在は2つの核店舗と約170店の専門店、結婚式場などで構成された複合型ショッピングセンターとなっており、その規模は現在でも山口県最大である。北九州市とは海を隔てて隣り合わせの為、CMも山口、福岡の民放各局で放送している。

海峡ゆめタワー 山口県国際総合センター 山口県下関市

山口県国際総合センター(やまぐちけんこくさいそうごうセンター)は山口県下関市豊前田町3丁目3-1にある、山口県と財団法人山口県国際総合センターが設置し、同財団法人が管理・運営する会議・展示施設。通称は海峡メッセ下関(かいきょうメッセしものせき)。

細江地区・旧国鉄貨物ヤード跡地を対象とした再開発事業「海峡あいらんど21」計画の一環として、海峡ゆめ広場(1989年(平成元年)9月完成)に隣接する土地に建設された。なお、同センターの建設計画は、県立の文化施設を県内各地にバランスよく配置する意図をもって、岩国市のシンフォニア岩国と萩市の山口県立萩美術館・浦上記念館の建設と一体をなすものとして、推し進められた。

1994年(平成6年)7月から建設が始められ、1996年(平成8年)6月に完成、同年8月1日にオープン(海峡ゆめタワーは7月20日に先行オープン)した。

敷地面積は7,841m²、延床面積 30,587m²で、地上10階のオフィスビル「国際貿易ビル」、地上4階のイベントホール・展示見本市会場「アリーナ」、展望塔「海峡ゆめタワー」、立体駐車場から構成される。

国際貿易ビルには、4ヵ国語同時通訳設備のある国際会議場や多目的ホール「海峡ホール」が設けられているほか、様々なテナントが入居している。アリーナのイベントホールでは、2002年(平成14年)に国際捕鯨委員会 (IWC) の年次総会が開催された。

海峡ゆめタワーの高さは153m、展望室の高さは地上143m。これは西日本の自立型タワーの中では最も高い(ただし、超高層ビルを含めた展望室の高さを比較した場合、大阪市の梅田スカイビル空中庭園展望台が170mで西日本一)。形状が特徴的で、展望室が球体状になっている。夜は美しくライトアップされ、関門海峡周辺(下関市街地・門司港レトロ、関門橋など)の夜景を楽しめる。

錦帯橋 山口県岩国市


錦帯橋(2009年3月)錦帯橋(きんたいきょう)は、山口県岩国市の錦川に架橋された木造のアーチ橋である。日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されている。藩政史料には大橋と表記されることが多く、「錦帯」という美名は完成後に定着した説が有力とされている。文書による初出は宇都宮遯庵の記述した文書内である。

5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル、幅員5.0メートルで、継手や仕口といった組木の技術によって造られている。杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルにして1673年に架橋された。西湖の錦帯橋とは2004年に姉妹橋となっている。

創建時
初代岩国領主吉川広家が岩国城を築城して以来、岩国城と城下町をつなぐ橋は、数回架けられているが、錦川の洪水により、たびたび流失していた。

3代領主吉川広嘉は、洪水に耐えられる橋を造ることに着手する。橋脚を無くすことで流失を避けられるとのアイディアのもと、大工の児玉九郎右衛門を甲州に派遣し、橋脚がない跳ね橋(刎橋)である猿橋の調査を命じた。しかし、川幅30メートルの所に架けられている猿橋に対し、錦川の川幅は200メートルもあるため、同様の刎橋(はねばし)とするのは困難であった。

広嘉は、明の帰化僧である独立(どくりゅう)から、杭州の西湖には、島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知る。これをもとに、連続したアーチ橋という基本構想に至った。アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられるというのである。

児玉九郎右衛門の設計により、1673年(延宝元年)に5連のアーチ橋の錦帯橋が完成した。しかし、翌年の1674年(延宝2年)、洪水によって流失してしまった。同年、橋台の敷石を強化して再建したところ、この改良が功を奏し、その後は昭和期まで250年以上流失することなく定期的に架け替え工事が行われ、その姿を保った。

なお、橋は藩が管理し、藩内では掛け替え・補修の費用のために武士・農民など身分階級を問わず「橋出米」という税が徴収されていた。ただし当時、橋を渡れるのは武士や一部の商人だけで、一般の人が渡れるようになるのは明治に入ってからであった。

近代以降
明治時代になり橋を管理していた岩国藩が消滅すると、1895年に地元有志による「錦帯橋保存会」が設立され、掛け替え資金の募集を行うようになる。

1922年3月、史蹟名勝天然紀念物保存法により名勝の指定を受ける。

1950年(昭和25年)9月14日、折からのキジア台風により第四橋の橋脚から崩壊し、錦帯橋はほぼ完全に流失してしまう。276年間流されなかった錦帯橋が流失した原因としては、それまでの戦時体制下で橋の補修がおろそかになっていたことや、前年に米軍が岩国基地滑走路を拡張した際に錦帯橋付近から大量のバラス(砂利)を採取したことで河床の落差が急に大きくなっていたことなどが指摘されてもいる。

翌1951年から復旧工事が始まり、1953年(昭和28年)に再建が完了。

1998年(平成10年)5月6日、この橋を軽トラックで渡った3人の男が逮捕された。橋についた傷を修復するのに約220万円の費用がかかった。

2001年(平成13年)より2004年(平成16年)に26億円をかけて、約50年ぶりに橋体部分の架け替え工事が行われた。工事は各年の晩秋から早春の、錦川の水量が減る時期に施工された。

2005年(平成17年)9月6日から翌7日にかけて九州北部・山陰沖を通過した台風14号により、第一橋の橋脚2基が流失した。後に約4000万円かけて復旧工事が行われ今に至る。

2010年2月27日に、『美の巨人たち』に採り上げられた。


⇒錦帯橋

山口サビエル記念聖堂 山口県山口市

山口サビエル記念聖堂(やまぐちサビエルきねんせいどう)は、山口県山口市にあるカトリック教会の聖堂。カトリック広島司教区に属する。ザビエル記念聖堂とも呼ばれるが、施設名としてはサビエルと濁らないのが正式である。

フランシスコ・ザビエルの来日(山口での布教活動)400年記念として1952年(昭和27年)に建てられた。

初代の聖堂は、ザビエルの生家で、スペインのナバラ州パンプローナにあるザビエル城を模して建てられたもの(パンプローナ市は1980年に山口市と姉妹都市提携を結んでいる)で、市民にも広く親しまれていた。しかし、1991年(平成3年)9月5日に失火により全焼。サビエル記念聖堂の所有者であるイエズス会より多くの資金援助を受け、更に、種々の教会関係機関、山口信徒、ならびに山口市民、全国から寄せられた善意の募金により1998年(平成10年)4月29日に再建された。

再建された聖堂は、イタリア人神父のコンスタンチノ・ルッジェリと建築家ルイジ・レオニのデザインによるもので、高さ53mの2本の塔とテントを模した大きな屋根が全体を覆う構造をもつが、これはカトリック教会の伝統的な建築様式と比してかなり斬新なものであった。

初代聖堂の面影をほとんど残すことなく再建された聖堂は、当初、従前の聖堂の姿に慣れ親しんできた市民から異論が起こった。しかし、2本の尖塔をもつ白色の教会堂は緑豊かな風景に違和感なく調和しており、現在では山口市民の憩いの場として親しまれ、山口を代表する観光地として定着している。

山口市の中心市街地は高層建築物が少ないため、亀山の中腹にたつ50m超の2本の塔は遠くからでも眺めることができ、いわば山口市のランドマーク的な存在ともなっている。

日中15分ごとにはカリヨンの鐘が鳴らされるが、その鐘の音は、市民に時を知らせる調べとして旧聖堂の時代から親しまれ続けている。


⇒フランシスコ・ザビエル

長門・下関周辺の観光スポット7 萩焼深川窯元の里など

龍宮の潮吹(山口県長門市油谷津黄)
津黄の断崖にある海食洞で、国の天然記念物・名勝。崖に開いた縦1m、横20cmほどの空洞に押し寄せた荒波が、圧縮された空気に押し上げられ、うなりを上げて上空に噴出する。吹き上がる潮は時には30mもの高さに達し、天に昇る龍のように見えることからこの名が付いた。潮吹き現象が見られるのは主に北西風が強い冬場のしけの日で、なぎの時は見られない。

青海島観光船(山口県長門市仙崎字漁港南4297-2)
青海島の奇勝を海から探訪する観光船。波に浸食されてできた雄大な景観を間近に見ることができる。基本の1周コースは所要1時間30分。青海大橋から西海岸、断崖や奇岩が次々と現れる北海岸を探勝し、仏岩を経て内海に入り仙崎港に戻る。外洋が荒れている場合は内海コース、観音洞コース、大島コース(所要各約1時間)などに変更される。貸切船の場合はコースの選択可。

青海島キャンプ村(山口県長門市仙崎紫津浦2057)
紺碧の海が眼下に広がるキャンプ村。特に夏場は海水浴のメッカとして利用客が多い。冷暖房を備えたバンガロー10棟1泊7000円〜、常設テント12張1泊3500円(夏期のみ)、持込サイト60張(大1500円、小1000円。1人利用500円)。

青海島自然研究路(山口県長門市青海島)
青海島のほぼ中央、静ケ浦から海を見晴らす遊歩道が延びている。Aコース1200m(所要40分)とBコース700m(所要20分)があり、展望台から十六羅漢や象の鼻などの奇勝が眺められる。一部海岸にも出られる。

青海島高山オートキャンプ場(山口県長門市仙崎青海)
標高320mの高山中腹にあり、眼下には青海島の自然美が広がるキャンプ場。施設も充実しており、身障者用のトイレも用意されている。近くには黄波戸[きわど]温泉がある。4〜11月開設。

黒井漁協観光釣り堀(山口県下関市豊浦町涌田後地754-1)
涌田港の一角にある2万平方mもの養魚場。鯛やハマチ、アジなどが釣れ、レストランでは刺身、あら炊き、吸い物など調理してくれる(調理代別途)。

下関市菊川自然活用村(山口県下関市菊川町上岡枝歌野)
村内でヤマメの養殖をしているので、釣堀で釣りを体験できる。春は桜、夏はゲンジボタルと四季折々の自然を満喫できる。

豊田湖畔公園キャンプ場(山口県下関市豊田町地吉348)
豊田県立自然公園・豊田湖畔にあるレジャーゾーン。湖畔で楽しめる釣りやバードウォッチングは家族連れに人気。設備も充実している。通年開設。要予約。

萩焼深川窯元の里(山口県長門市深川湯本三ノ瀬)
萩市と並ぶ萩焼の里。約400年前に御用窯が築かれたのが始まりといわれ、現在も5軒の窯元がある。田原陶兵衛工房(時間:8時30分〜12時、13時30分〜17時30分、休み:日曜、月2回月曜)、大野瑞峰窯(時間:8時30分〜18時、休み:火曜、電話:25-3636)、坂田泥華窯(時間:8時30分〜16時30分、休み:日曜、電話:25-3903)は見学が可能。周辺には、古い窯の跡や陶土を砕くサコンタとよばれる水車小屋がある。

ふく楽舎・ふくふくゼミナール(山口県下関市彦島西山町5-2-1)
フクの調理にチャレンジできる料理教室。専門家の指導のもとでトラフクを調理し、味わえる。天白コース7140円(持ち帰り半身分を含む)。11時〜、所要2時間。3日前までに要予約(12月中は休み)。

長門・下関周辺の観光スポット6 リフレッシュパーク豊浦など

古江小路(山口県下関市長府古江小路町)
城下町の名残りを色濃くとどめる通り。なかでも代々藩医を務めた菅家の重厚な長屋門は、太い格子の武者窓や38mもの長い練塀など、建築当時の形を完全に残した貴重な建物だ。

牧崎風の公園(山口県下関市豊北町角島)
島北部にある自然公園。園内は遊歩道が整備されているだけだが、岬の突端からは地平線と日本海の水平線の大パノラマが楽しめ、冬に波の花が飛ぶ様は圧巻。また、角島は奈良時代から牛の放牧が行われきた地で、現在も牛がのんびり草を食む姿を見ることができる。

万葉歌碑(山口県下関市豊北町角島1768)
島の中央部にある角島小学校の一角に立つ歌碑。万葉集に『角島の 瀬戸のわかめは 人のむた 荒かりしかど 我がむたは和海藻』という一句が残されていたことから、角島のワカメが古くから都に献上されていたことが伺える。見学の際は角島小学校職員へ連絡のこと。

みもすそ川公園(山口県下関市みもすそ川町1)
かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれている。関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆[はやとも]の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められる。

妙青寺(山口県下関市豊浦町川棚)
1414年(応永21)に大内持盛が開基した国清寺が前身で、1604年(慶長9)ここに葬られた長府藩主の姉の法名をとって妙青寺と改名された。本堂裏に池を配した雪舟庭園があり、5月上旬にはツツジが彩りを添える。御成門脇には、山頭火の句碑「湧いてあふれる中にねている」が立つ。

村田清風記念館(山口県長門市三隅下沢江)
村田清風とその志を受けた周布政之助の遺品と資料を展示。当時の農村生活がそのまま再現されており、時代を超えて楽しむことが出来る。近くには、村田清風旧宅(国指定史跡)がある。

夢崎波の公園(山口県下関市豊北町角島)
角島灯台公園に隣接して整備された公園。波をテーマにした園内には、スイセンなどの花で波をイメージした花壇が造られている。周辺はハマユウの自生地もあり、季節になると白い可憐な花が咲き乱れ、訪れる人の目を楽しませてくれる。

楊貴妃の里(山口県長門市油谷久津)
楊貴妃が漂着したという伝説にちなんで、二尊院周辺を整備した公園。大理石製の楊貴妃像や中国風のあずまやが立つ。

横枕小路(山口県下関市長府宮の内町)
長府には城下町時代から残る練塀が多い。乃木神社の右側は練塀の路地のなかでも代表的なもので、緑に覆われた塀と土の道でできた通りは、情緒にあふれている。

リフレッシュパーク豊浦(山口県下関市豊浦町川棚2035-9)
サルビアやマリーゴールドが咲く四季の園、四季咲きのバラを中心に色とりどりのバラ約500本が咲き競うバラ園、100万本のコスモスや30万本の菜の花が咲くなど、季節ごとの花が楽しめる公園。全長55mのローラースライダーやシーソーを備えた遊びのゾーンもあり、家族連れに人気が高い。秋には豊浦コスモスまつりが開かれる。

長門・下関周辺の観光スポット5 藤原義江記念館など

東行庵(山口県下関市吉田町1184)
高杉晋作(号=東行)の墓(史跡)を守るため、尼となった愛人おうのが住んだ庵。1839年(天保10)、萩の上級武士の家に生まれた高杉晋作は、松陰の義理の弟である久坂玄瑞とともに松下村塾の双璧といわれた秀才。長州征伐では全軍を指揮して幕府軍を劇はしたが、肺結核のため維新を目前に27歳で病死した。彼の東行記念館(料金:300円、時間:9〜17時、無休、12月30・31日休み)もある。

土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県下関市豊北町神田上891-8)
1953年(昭和28)からの19次にわたる発掘調査で、土井ケ浜遺跡では約300体の弥生時代の人骨や副葬品が出土。発掘された人骨は中国大陸や朝鮮半島のものと酷似し、大陸からの渡来人がここに住みついて、大陸文化を伝えたと考えられている。顔を海に向けているのが埋葬の特徴。最も多く人骨が発見された場所はドームで覆われ、発掘当時のままの状態が見られる。人類学ミュージアムでは、土器や副葬品の展示や3D立体映像、パソコンクイズで弥生人の生活をわかりやすく解説している。所要1時間。

中本たかこ文學資料館(山口県下関市豊北町角島630-3)
豊北町に生まれた女流作家・中本たか子氏の資料が展示されている記念館。角島にある夢崎と牧崎は『故里を とおくはなれて 思うかな 夢さきの波 牧さきの風』という歌から命名されている。中本たか子は、社会主義思想の持ち主として当局に検挙され、投獄されるなど、昭和初期に激動の人生を送った。また、評論家の蔵原惟人氏の夫人としても知られる。記念館の見学は予約が必要。

長門市通くじら資料館(山口県長門市通671-17)
青海島の通[かよい]で江戸初期から明治時代まで、盛んに行われた古式捕鯨の歴史を紹介する資料館。鯨の標本や捕鯨船の模型のほか、実際に漁に使われていた縄や銛などが展示され、勇壮な漁の様子を知ることができる。

二尊院(山口県長門市油谷向津具下3539)
龍伏山天請寺二尊院と号し、創建は807(大同2)年天台宗の開祖最澄の開山と伝えられる。江戸時代に毛利家の祈祷所として宗旨を真言宗へと改めた。世界三大美女のひとり楊貴妃が唐の国より追われ、空艫舟に乗って漂着し、この地で息を引き取ったという伝説があり、飛地境内には楊貴妃の墓と伝えれられる五輪塔(県指定文化財)とその菩提を弔うために安置された本尊二尊仏・阿弥陀如来、釈迦如来(国指定重要文化財)が祀られている。

日清講和記念館(山口県下関市阿弥陀寺町4-2)
1895年(明治28)4月17日、日清戦争の講和会議が開かれた旅館春帆楼[しゅんぱんろう]の敷地内に立つ。伊藤博文と李鴻章[りこうしょう]が日清講和条約を締結した際のテーブル、椅子、火鉢などの調度類や資料が、当時のままに再現されている。

乃木神社(山口県下関市長府宮の内町3-8)
明治天皇の崩御により殉死した将軍・乃木希典[まれすけ]と夫人を祭った神社。境内には乃木大将が10歳から16歳まで過ごした家が復元され、夫妻の銅像や遺品などを収蔵する宝物館などがある。

早川家住宅(山口県長門市通)
江戸後期の建築といわれる網元の屋敷。白壁の土蔵造で一部2階建てという、漁師の屋敷らしい豪放な風情を漂わせている。壁には鯨の油が塗られていると伝わる。1974年(昭和49)に国の重要文化財に指定されたが、国の重要建造物の中で漁師の住宅は早川家を含め2軒だけという。内部の見学は要予約。

火の山公園(山口県下関市みもすそ川町)
標高約268mの山で、かつてのろし場があったことからこの名が付いた。頂上の展望台からは関門海峡や下関市街、玄界灘や周防灘まで眺められ、特に夜景は格別の美しさ。桜とツツジの名所でもあり、4月上旬には桜、5月上旬にはツツジが咲き誇る。麓からは車で登ることができる。火の山ロープウェイ運行期間については要問合せ。

藤原義江記念館(山口県下関市阿弥陀寺町3-14)
関門海峡を望む小高い丘の上に立つ洋館で、日本にオペラの基礎を創りあげた世界的オペラ歌手・藤原義江(1898〜1976)の記念館。下関在住の作家・古川薫氏による直木賞受賞作『漂泊者のアリア』のモデルとしても知られている。館内には義江の遺品や写真などを展示。見学は予約が必要だ。

長門・下関周辺の観光スポット4 長府庭園など

瀬崎陽の公園(山口県下関市豊北町角島)
かつて島の岬にあった燈明台のあかり(陽)が、付近を航行する船の安全を守ったという伝説からこの名前が付いた。角島大橋のたもとにあり、橋をはさんで対岸にある海士ケ瀬公園を一望できる島内屈指のビュースポットだ。

千畳敷(山口県長門市)
標高333mの高台に広がる草原。眼下に紺碧の日本海を見下ろし、晴れた日には萩の島々まで一望できる。みやげ物店にレストランを併設したカントリーキッチン(時間:11〜18時、休み:木曜、冬期は土・日曜、祝日のみ営業)があり、春から夏にはキャンプ場もオープンする。周辺には風力発電の風車も見られる。

宗隣寺庭園・龍心庭(山口県宇部市小串210)
宗隣寺は奈良時代に唐僧の為光和尚が開き、江戸中期に宇部領主の福原氏15代広俊が再興した臨済禅の名刹。本堂北側にある龍心庭は、南北朝時代に築かれた山口県下最古の庭園で、国名勝に指定されている。小石を敷き詰めた池の浅瀬は干潟様と称し、古庭園では岩手県・平泉の毛越寺とここにしか現存しない学術上貴重なものだ。

大寧寺(山口県長門市深川湯本1074)
1410年(応永17)、大内氏の支族の鷲頭弘忠[わしのずひろただ]が創建したと伝わる曹洞宗の古刹で、西の学府として栄えた。しかし1551年(天文20)、陶晴賢[すえはるかた]の謀反にあって山口を追われた大内氏31代義隆がここで自刄し、堂宇を焼失。現在の建物は毛利元就が再建したもので、広い境内に本堂、開山堂、観音堂などが立つ。境内を流れる大寧寺川に架かる盤石橋[ばんじゃくきょう]は、2枚の石盤を大小の石で支えた橋で防長三奇橋のひとつ。本堂裏手の山の中腹には、大内義隆主従の墓がある。

俵島(山口県長門市油谷)
向津具半島の先端にある、周囲約900m、高さ約30mの小島(天然記念物・名勝)。全島が玄武岩でできており、波に浸食された柱状節理が、まるで俵を縦に積み上げたように見えることからこの名が付いた。

長府庭園(山口県下関市長府黒門東町8-11)
長府毛利藩の家老格であった、西運長[にしゆきなが]の屋敷跡にある廻遊式日本庭園。小高い山を背にした約3万1000平方mの敷地には、池を中心に書院・茶室・あづまやが残され、かつての静かな佇まいが今日まで保たれている。春から初夏は桜・ツツジ・花菖蒲、夏は中国の革命家孫文から贈られた、白地に淡いピンクの孫文蓮[そんぶんれん]が美しい。

長府藩侍屋敷長屋(山口県下関市長府侍町1-1)
長府藩お馬廻り役220石取りの武家の長屋。桁行き8間、梁間2間。反りを付けた屋根がふかれた建物は、江戸時代後期の武家長屋の典型的なものだ。城下町長府の中央を流れる壇具川沿いに立つ。

長府毛利邸(山口県下関市長府惣社町4-10)
1903年(明治36)に長府毛利家14代元敏[もととし]が建て、明治天皇の宿泊所としても使われた屋敷。白壁に囲まれた敷地は約1万平方mと広く、池泉回遊式庭園、書院庭園、枯山水庭園の3つの庭園がある。母屋の一部は休憩室になっており、茶を飲みながら休憩できる。

角島(山口県下関市豊北町角島)
日本海に浮かぶ山口県西端の島。周囲約17km。海岸線の美しさはすばらしく、海岸は磯釣りのメッカ。古くから牧畜が盛んで、牛がのんびり草を食む放牧風景も見ることができる。西側の夢ケ崎には、1876年(明治9)に英国人技師R.H.ブラントンの設計で立てられた御影石製の角島灯台と角島灯台記念館が立つ。しおかぜの里角島(電話:083-786-0700)では特産品を販売。夏になると、浜ではハマユウが開花する。

角島灯台公園(山口県下関市豊北町角島)
島の西端に位置する公園。園内には明治初期に建てられた灯台や記念館、休憩所などがある。1876年(明治9)、初点灯した洋館造りの灯台は高さ29.6m。らせん階段を上って踊り場まで行くと響灘が一望だ。朝日や夕日を背景に立つ美しいシルエットは一見の価値がある。職員の宿舎だった退息所を利用した灯台記念館では、角島の歴史や日本各地にある灯台を紹介。灯台長の部屋などが復元されている。

長門・下関周辺の観光スポット2 金子みすゞ記念館など

金子みすゞ記念館(山口県長門市仙崎1308)
金子みすゞの実家跡に「金子文英堂」を再現し、当時のみすゞの生活をうかがうことができる。本館では、みすゞの作品と生涯を中心に展示し、みすゞの世界の魅力を分かりやすく紹介している。

唐戸洋館めぐり(山口県下関市唐戸町)
明治〜大正時代、下関は日本の西の玄関口として大いに賑わった。当時の面影を今に伝えるのが、唐戸交差点周辺に残る旧秋田商会ビルと下関南部町郵便局の2つの洋館だ。

川棚のクスの森(山口県下関市豊浦町川棚下小野)
1本の大樹の枝が広がり、遠くから見ると森のように見えたことから名付けられた名木。樹高25m、幹囲11m、枝張り東西46.5m、南北49mという圧巻のスケール。日本三大樟樹の一つでもあり、樹齢は約1000年。「新日本名木百選」にも選ばれている。

巌流島(口県下関市大字彦島字船島)
下関港の南、彦島の400m沖に浮かぶ無人島。正式には船島といい、1612年(慶長17)に剣豪宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した舞台として名高い。5月上旬には巌流島フェスティバルが行われる。バーベキューサイト(料金:無料、時間:10〜17時、申込先:下関市観光施設課)も設置され、海峡の絶景を楽しみながらバーベキューができる。

北向地蔵尊(山口県宇部市西岐波上片倉)
年間20万人もの参拝客があるという願掛け地蔵。高さ1mほどの小さな石の地蔵が、仰々しいほど立派なお堂の中に安置されていることからも、信仰の厚さがうかがえる。地蔵の前に焚かれた線香の煙を、体の治したいところにあてると治癒するといわれる。毎月24日の縁日は大変な賑わいになることから、JR宇部新川駅から臨時バスが頻発する。

旧秋田商会ビル(山口県下関市南部町23-11)
唐戸洋館のひとつ。1915年(大正4)に建てられた。外観は洋風だが2・3階は書院造りの和室で、屋上には日本庭園や茶室があるというユニークな造り。1階は現在、下関観光情報センターになっている。

鯨墓(山口県長門市通11区)
くじら資料館裏手の清月庵境内にある、鯨の胎児を葬った墓。1692年(元禄5)、通浦[かよいうら]鯨組の漁師たちによって建てられた。通の漁師たちにとって鯨漁は生死を賭けた戦いだったため、鯨に対する思いは真摯で、海を見ずに逝った胎児の鯨は丁重に供養されたという。近くの向岸寺には、捕殺された鯨の戒名を記した「鯨位牌」や「過去帳」がある。くじら資料館には古式捕鯨用具(重要有形民俗文化財)をはじめ、新旧捕鯨船や捕鯨の歴史資料を展示。

熊野山公園(山口県長門市俵山)
温泉街の南の高台を整備した公園。4月下旬〜5月中旬は約1万本のツツジが白やピンク、赤など色とりどりの花を咲かせて見事。また秋には、ジュウガツザクラの薄紅色の花が美しい。

コーモリ洞[青海島](山口県長門市青海島)
青海島観光汽船一周コースの見どころのひとつ。コウモリが両翼を広げた形に似ていることから名付けられた海食洞。右から3つ目の洞窟には、実際にコウモリが生息している。

功山寺(山口県下関市長府川端1-2-3)
1320年(元応2)に創建された古刹。仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築。毛利元就に追われた大内義長はここで自刃した。幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が倒幕を目指して決起した地としても知られる。境内には馬上姿の晋作像が立つ。春の桜、秋の紅葉が美しい。

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